220.阿佐ヶ谷時代ー2(JR西日本事故と絡めて)
ナンバー218で記した阿佐ヶ谷時代のハナシ、PART-2。当方のアパートは杉並区にあったが、目の前の小路を挟んで対面は中野区だった。両区の境界になっていたわけである。ある日の水曜日の夜、同僚連と酒宴を重ねて帰宅。深夜2時ごろだった。すなわち時計はすでに木曜日。ナンバー218でも記したように当時、当方は木曜日と日曜日が休日だった関係もあって、水曜日の夜はだいたい深夜まで飲み歩くのが常だった。
新宿歌舞伎町からタクシーに乗り、阿佐ヶ谷駅から真北に伸びる中杉道路なる幹線道路でタクシーを降りてアパートまでのわずかな距離をちどり足気味に歩く。家々は完全に寝静まっていた。アパートへ到着し部屋へ入ろうとしたら、その10mほど先に白バイが停まっているのに気が付いた。横には警官がひとり。アレッ?とは思ったが睡眠欲求がピークになんなんとしていた当方、そのまま室内へ。水を一杯あおってからすぐにベッドに入り即熟睡。
朝、何かエンジン音のような騒々しい音で目が覚めた。ヘリコプターの旋回音だとすぐに気付いた。時計を見たらまだ8時を少し廻った頃。ウルセエなあ〜と思いつつ、朝刊を取りに入口ドアへ。ヤカンに水を入れてガスに点火。旋回音が1機ではなく複数機であることに気付く。窓を開けて空を見上げる。真上を、しかも機体がはっきりと見える高さを旋回している。それも2機、いや3機…4機。何かあったんだなと思いつつ新聞を広げるや巨大な見出しが目に飛び込んできた。『中野で五人殺される』。ヘエ〜ッ、スゲエ事件が起きたんだと思った瞬間ハッとした。昨夜の白バイと警官──!慌てて外に出た。右方を見たら白バイと警官とともに数人の背中が見える。その前にはロープが張られていた──。
惨劇は当方のアパートから20mと離れていない一軒家とその隣家で起きていた。一軒家に下宿していた学生(4年生)が家主の父娘とともに隣家の母親と娘二人の計五人を刺殺。凶器は包丁。凶行後、その包丁を持って早稲田通りをブラついていたところを交番の警官によって見とがめられ、そして犯行が露見。水曜日の夕方6時頃のことだった。
犯人の男とは面識があった。その日、昼食時に訪れた馴染みの定食屋の老夫婦が教えてくれた。「ホラ、いつもその隅の席で黙って食べてたヒトよ。マスザワさんだって何回も会ってるわヨ。おとといの夜も来てさ、フライの盛り合わせ定食食べたんだから。ネッ、アンタ」。新聞に掲載された『彼』の顔写真と黙々と定食を食べている『彼』のイメージが一致した。妙な現実感だった。アパート前の小路を歩く『彼』とはたびたびすれ違っていたし、被害者の五人とも同様の関係性をもっていたからである。
その日は終日、電話に忙殺された。完全に野次馬と化した当方、母親を始め友人連に電話を掛けまくったからだ。むろんかなり興奮気味に。当時はまだワイドショーなるモノはなかったが、“今”なら間違いなく“市井のコメンテーター”になっていたハズだ。 定食屋のオバチャンとともにである。
電話は夜中まで続いた。アルコール類は当方の饒舌と興奮度にますますの拍車を掛けた。しゃべり疲れて外に出た。10時頃だった。白バイと警官の姿はなかったがロープは張られたままだ。近づいてみる。一瞬、惨劇現場にまで行ってみようかと思ったが、さすがに思いとどまる。殊勝にも手を合わせ黙祷した。その頃は般若心経も阿弥陀菩薩真言も知らなかった当方、ひたすら「ナムアミダブツナムアミダブツ」を繰り返した。戻ってまた電話でも──そう思って踵を返そうとした時、寒気が襲った。周囲の家々に灯りが全くついていないのに気がついたからである。足早にアパートに戻ってさらに寒くなった。16世帯ある部屋で灯りがともっているのは当方の部屋のみ。通常なら8割方が煌々と灯りをともしている時間帯なのにである。
気がついた──否、気がついてしまった。若い女性が多いアパートである。みんな当夜は外泊を決め込んだんだろう。むべなるかなである。20mと離れていない場所で五人もの人間が、それも当方と同様にそこそこの面識のある方々が被害にあっているんだから。途端に怖くなった。まるで『八墓村』か『獄門島』に独り取り残されたような気分。横溝正史ファンであったことを後悔した。即、池袋に住む友人に電話をした。「今夜、泊めてくれや」。
先日起きたJR西日本の大事故。車両が突っ込んだマンションの住人の皆さん
の気持ちが痛いほどに分かる。「住み続けることなんてとてもできない」。事故の全容が明らかになりつつあった時点で当方も思った。「こりゃあ、このマンションの人達とてもここには……」。実際、当日の夜から大半の住人の皆さんは外泊を。阿佐ヶ谷のアパートの住人たちも次々と転居を始めた。仲良しだった両サイドの部屋の女性たちは翌月に引っ越していった。
昨日、ナンバー218の記事を読んだおふたりと会話を。ひとりは某雑誌編集長氏、もうひとりは某テレビ局ディレクター氏。おふたりとも当方よりずっと年齢が若いが、阿佐ヶ谷や高円寺、荻窪界隈の“フリーク的ファン”。彼らとハナシをしていて『阿佐ヶ谷時代』のネタを記してみようと思った次第。
ちなみに当方が阿佐ヶ谷のアパートを引き払ったのは、上記事件の約一年後のこと。『八墓村』にしたたかに住み続けたわけだが結局は引っ越すことに。最大の理由は『猫』だった。いずれ記すつもりの自分がいる
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by KOKUZOBOSATSU | 2005-05-24 04:21 | ●もろもろ